神と怨霊 思うままに

梅原猛
エッセイ集 2008年(新聞連載2005〜2007年) 文藝春秋
スンマセン、過去の人かと思ってた ★★☆


『神と怨霊』とは、思わず引いてしまうタイトルだが、『思うままに』という副題(正題?)が示す通り、日常生活や社会問題を取り上げた、ごく常識的な随想である。庭の花から始まって、プロ野球や大相撲の話題、JRの脱線事故に潜む企業体質、ライブドア錬金術、イラク戦争など、時事問題に対する意見は読みやすく含蓄に富む。

と思いきや、やはり歴史・宗教・哲学関連が主題となってくる。

「神は死んだ」とニーチェは言った。我が国では人が死んで神になるのである。
個人が神として祀られるには、非業の死を遂げねばならぬ。だから怨霊。

人が神になれる日本は軽い国か、幸いな国か。西洋神と違って絶対的存在ではないし、八百万もの数だし、比較はできない。
中国でも関羽のように、不本意な死ゆえか祀られた武人がいる。なぜか商売神。
「祀る」行為は「崇める」よりも「祟りを恐れる」気持ちのほうが大きい。そういえば「崇」と「祟」はよく似ている。

死んで「神」になるのはなんとなくなじまない、死者は「ホトケ」になるものではないのか。ま、それは一般人。これとて犯罪被害者など不幸な死に方をした人ほどそう呼ばれる傾向にある。
宗教心のない身には、神も仏もありゃせん、違いさえわからんのだが。


神を考える参考に↓

脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?

前野隆司
哲学書 2007年 技術評論社
脳の中にいるのは小さなホムンちゃん ★★


『ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史』ということで、科学と哲学の融合?

人の「心」は脳にあるのか。心身一元論、二元論など史上現れたさまざまな説を紹介しつつ、ロボット学者の立場から一元論を語っていく。
ま、心がどこにあろうと生きていくに差し支えない。てのが凡人の感想だ。

思い出すは星新一のショートショート。
神を作ろうとした人が、神に関するあらゆる情報をロボットにインプットしていったら、しまいにロボットは姿が薄れて消滅してしまった。そして・・・かなり衝撃的な結末であった。この国に神は存在していなかったのである。
2008年05月11日 12:33 by 蕪  ※(0)  虎(0)  随想・評論

だれもあなたのことなんか考えていない

ロジャー・ローゼンブラット Roger Rosenblatt
エッセイ 早川書房
30歳過ぎたら自分の人生に責任を持て ★★☆


副題『他人にしばられずに長生きするための58条』

海外ではこういう、ちょっと気の利いた短文を並べた薄手の人生訓に人気があるようだ。
もっとも本作には妙に長い編もいくつか混ざっており、気の利いた内容とも限らない。形式だけにとらわれたんじゃない、中身重視だよ、と言いたげ?

58のうち半分近くは一般日本人には関係なさそうだし、訳文に首をかしげる部分もあり、買ってまで座右に置くほどではない。まして各章の中身を暗記するなんてとてもとても。
第一、基本的姿勢が否定に満ちている。あれをするな、これをするな。ま、長生きしたかったら、吸ったり飲んだり食べたりを最小限に抑えなければならないのが真実だからね。

としても、こういうジャンルにはなじみにくい翻訳本のわりには、気に入った部類。
ごもっともないくつかの章を書き止めてうなずくだけでも価値はある。

『孤独のほうがエッグベネディクトよりまし』・・・エッグベネディクトって何よ? 何であったとて、「孤独」は「まし」と相対評価される以上のものだと、個人的には感じている。

『だれも羨まないこと──絶対に』

『だれかに忠告してはいけません。とくに、それがその人のためになると思うのならなおさら』・・・あああ、至言である。

『あなたのことじゃない』・・・実に。解説に自分のことを書くヤツが多過ぎる。

そして『お金のために行動するなかれ』・・・おお、そうだったか。そうだ、その通り。以上。
2008年05月03日 13:34 by 蕪  ※(0)  虎(0)  随想・評論

決められない!

清家洋二
教養書 2005年 筑摩書房
迷える子羊へ捧ぐ ★★


こども医療センター精神科の医師が、多数の実例をもとに『優柔不断の病理』を解説。
仕事柄、主に子どもの事例が取り上げられているが、その裏には親の問題が見え隠れしている。親の過干渉が優柔不断な子どもを作るのである。

何かを「決める」行為は人にストレスを与えるそうだが、「決めず」に放置するもしくは悩む行為だって、選択の結果ではないのか。と考えていくときりがないが、生活に悪影響を及ぼすほど「決めない」でいることに「病理」が潜むということか。

氾濫する情報は、かえって人に迷いをもたらす。
「迷う」のはなぜか。より良いものを求めるからだ。つまり「欲」の所産である。

『意識的に情報を遮断する』と内面の充実が図れるとしても、優柔不断は性格や気質に負う面が大きいから、根本的な解決にはならないと思う。

結局「決められない」ことの何が問題なのか。
たいした問題じゃないね。ちょっと損するだけ。長い目で見れば同じこと。という考え方ができる人は幸せである。おそらく迷いで悩むことも少なかろう。

いわゆる自己啓発本には、「迷いを断ち切る方法」「上手な決定術」など、具体的なテクニック(簡単そうなのになかなか実践できない)が載っているが、この本はそういうたぐいではないので、ご注意。
2008年04月24日 08:10 by 蕪  ※(0)  虎(0)  随想・評論

解剖学個人授業

養老孟司・南伸坊
エッセイ 1998年(雑誌連載96〜97年) 新潮社
身近な解剖学 ★★★


『生徒の達人』南伸坊が、『解剖学教室へようこそ』の養老先生に就いてお勉強する。その提出レポート及び先生の寸評。

解剖学なんて一般の人々にはまず縁のないものである。そういう「学問」が成り立つこと自体不思議であった。
死体を切って調べる解剖という作業は、多くのミステリ読者にとってなじみ深いが、それはフィクションの中だけ。どっちかというと「法医学」の分野であろう。
昔、独り暮らしの知人が夜中に自分の部屋で急死して、数日後に発見されるという出来事があった。友人たちとそのことを話していて「やっぱり司法解剖に回されるんでしょうか」という問いに、ある人が「シボウ解剖は殺人事件のときだけじゃないの」みたいなこと言った。“死亡解剖”のつもりだった?

南生徒は目のつけどころが鋭く、軽妙洒脱な文章で何を書いても読ませるし、養老先生はやや偏った考え方があっても、これまた面白い書き手だから、相乗効果でそりゃもうスゴイ本が仕上がるかと思いきや、ちょっぴり拍子抜け。

確かに内容は面白い。
毎回テーマが定まって、興味をそらすことなくまとまっている。どこまでが先生の教えでどれが生徒の感想でどこが地の文か、渾然一体となったところもあるが、だからどうだと突っ込むことでもない。
解剖学に没興味の人でも、雑学を山と仕入れて知的満足を味わえる。本全体は南伸坊仕様であるから、ときとして笑える。
『寝言を聞いて喜ぶのは本人だけ』至言だ〜。でも、ほんとうに喜ぶだろうか? かえって蒼ざめるかもね。

では、何が問題か。
「気遣い」といっておこうか。
生徒が先生を敬うことは、世間一般での実態はともかく、道徳上のお約束である。先生だって、オマエは劣等生だ、バケツ持って立ってろと怒鳴ってばかりじゃ人気は落ち目。
なのでお互い尊重し合って、無難な経過。鼻につくというほどでもないのだが、気にし始めると目障りでもある。
この『個人授業』という形式、はたして成功したのであろうか。


運のつき

養老孟司
エッセイ 2004年 マガジンハウス
運がついてる人と運がつきた人の差は? ★★☆


人生は運だ・・・それはつくづくと感じる。いろんな事柄が複雑に絡まって、結局は「運」としか呼べないような経緯をもって今の自分があるのだから。

『バカの壁』がバカ売れした人だが、以前からいろんなものを書いていたのである。その自伝的人生論。巻末に履歴書もついてる。
話し言葉でつづられるが、談話を編集者が具体的な文にした「語り下ろし」という手法らしい。

人生は『もはや死に向かって不可逆的に進行するしかない状態』なのである。
長年死体と付き合って、「死体」が「現実」、「死体」を「自然」と言う人であるから、『自分が死ぬことなんて大した問題じゃない』と言い切る。ジタバタしたって怖くったって、誰でも死ぬんだからしかたない。理屈ではわかっても、感情では納得しないのがおおかたの人間てもんだろうな。

養老孟司の本は『人間科学』『無思想の思想』『死の壁』など、最近になってわりと読んでいるが、同じようなことが何度も出てくる。あたりまえは難しいとか、普通がすごいとか、個性は身体にある、など。真理とすべきことは繰り返し述べないとわかってもらえないのである(表面的に誤解を招きやすい事項ならばなおのこと)。
だから鬱陶しいというわけではなく、もっと読んでみたくなるから不思議。
2008年04月21日 15:47 by 蕪  ※(0)  虎(0)  随想・評論

醜い日本の私

中島義道
エッセイ 2006年 新潮社
マイノリティの悲哀 ★★☆


「醜い」は「日本」を修飾してるんだよね、「私」ではなく。

まずあげつらわれるのは日本の風景。張り巡らされた電線、ごたごたしたストリート、吐き気を催す看板、絶え間なく耳を殴りつけるお節介放送・・・なんと汚らしく醜い国にわれわれは暮らしているのか。
しかも大多数の正常な日本人は、不快に感じるどころか、そこに居心地の良さを見出すのである。
さらには、その場しのぎのウソを天真爛漫に操る無神経な人々、買い手が売り手を奴隷化するシステム、など、いくぶんぐさっとくる内容。

醜い日本に敢然と立ち向かうドンキホーテがひとり。嗚呼。

別に電線が垂れ下がって感電するわけじゃあるまいし、ほっときゃいいやん。と、普通の人(マジョリティ)なら思うさ。電線地中化はお金がかかるんだし、そんなカネがあるなら、住民の健康に直結する老朽水道管の交換をやっとくれ〜。

他者の醜怪さへの攻撃は、突き詰めれば「ブスハセイケイシロ」てなことになってしまう。

中島義道は池田清彦とオトマダチだそうで、なるほど類は友を呼ぶだなあ。
大学教授とはお気楽なショーバイなのだ。

さて、このかたはとっても偏食の激しい人のようだし、喫煙者(なんと醜怪な)であり、コンビニ弁当やファストフードを愛食していると見受けたので、老婆心ながらアドバイスいたします。
現代の若者がすぐにキレるのは、食生活に問題があると言われている。中島教授、あなたが些細なことでカッカするのもたぶん同じ理由であろう。
インスタント食品や出来合いのお惣菜をやめ、野菜とりわけ緑黄色野菜をたんと食べなさい。タバコと清涼飲料水をやめ、ハトムギ茶を飲みなさい。
数ヶ月も続ければ、気分も落ち着き、立派な好々爺になれましょうぞ。

ところでほかの著作では『人生を<半分>降りる』を読んで不愉快になったことがある。
じゃあ性懲りもなく読むな、ほっときゃいいだろ。へい、すんません。

閑話休題。
打ち明けると、この本に書かれている事項の67パーセントくらいは賛同したい。
江國香織の美意識をこき下ろすあたりは痛快でさえある。
言葉の本質を知らず、考えたこともなく、正しく使え(使わ)ない日本人たちはこっけいで、そんな人々が善意で支配する「世間」は暴力的といえる。

何を隠そう、とある面においてわたくしも哀れなマイノリティである。
フツーの人々が喜ぶことを苦痛と受け止める感受性の持ち主がいかに生きづらいものか、日々、身をもって体験している。
しかもその自らを害する感覚を「治し」たくなんかない。
いわば同類項。マイノリティとしての共感は持てる。

それはそれとして、この著者への反感は別のところから出てくる。

つまりこの人は、あれはいやだ、これは嫌いと好き勝手なことを書いて公にする場と機会を得ている。表現力もある。おまけにそこからおカネも転がり込む。それでいて被害者面している。マイノリティを逆手に取った傲慢さが気に食わぬ。
この人はまったき強者なのだ。

同じマイノリティでもわたくしは弱者である。
嫌いなものを嫌いと言い放つと、翌日からおまんまが食えなくなるおそれがある。鬱々とうちに秘めておくしかない。

やっかみだと嗤うなら嗤え。
2008年04月19日 21:20 by 蕪  ※(0)  虎(0)  随想・評論

早わかり世界の文学

清水義範
教養書 2008年 筑摩書房
芸術は模倣に始まる ★★★


『パスティーシュ読書術』という副題が示すように、パスティーシュ作家として独自の地位を気づいた著者が、豊富な読書体験をもとに、古今東西の文学を斬る。
構成は若者向け講演の再録プラス書き下ろしエッセイ。『私が決める世界の十大小説』、パスティーシュとパロディの違いなど、気楽に読めて(きっと)ためになるコンテンツ満載。

歴史的に有名な書物も、調べたらパロディから始まっていたりする。真似っこだから価値が低いというものではないのだ、と。
補講『ユーモア文学論』では、ユーモアのもとはタブー(下ネタ)と物真似だと述べている。真似は人間が好む根源的なもののひとつでもあるのだ。

文章の上達法は訓練あるのみ・・・わかりきったことだけど、至言。
ブログの猩獗で、猫も杓子も文章を書くようになった(とことんマヌケなIMEを使ってさ)。
文なんて誰でも書ける。でも上手な文章となると・・・あれ、どんなのがそうなのかわからなくなってきたぞ。これも日々素人文を見、書いているせいか。

高校生のころのわたくしは、世界文学紹介(詳解)みたいな解説本を図書室で漁り、作者や年代背景、あらすじなどを読んでわかったような気になっていた。それで興味を持って実際に読んだものもあるにはあるが、ごく少数。
いまだにこんな本に目が留まるのは、宿業かな。

日本文学についてはほとんど手に取った記憶がない。

たくさん読書しているといっても、目先の娯楽になるものばかりで、名作とは縁がなかったなあ。今後老眼が進むだろうに、対峙する気力などわくものか。
昨今は『カラマーゾフの兄弟』や『失われた時を求めて』などの超大作が中高年の間でブームと聞くが、流行りものに飛びつくのも恥ずかしいものだし・・・。
2008年04月17日 18:23 by 蕪  ※(0)  虎(0)  随想・評論

他人と深く関わらずに生きるには

池田清彦
エッセイ 2002年 新潮社
お気楽人'正論 ★★


たいそう心惹かれるタイトルだったので、思わず手に取ったのである。
見出しも『病院にはなるべく行かない』『心を込めないで働く』『ボランティアはしない方がカッコいい』『自力で生きて野垂れ死のう』など魅力的な断言がいろいろ。
何も反社会的な行為を奨励しているわけではなく、『とりあえずは世間という呪縛から自由になる必要がある』と、けっこう真面目な論調。

内容については肩透かし。願わくはもっと実践に即した具体的なサバイバルテクニックを並べてほしかった。
全体的にさして役立つ指針とはいえず、机上の空論に終始している。
この薄い本の後半を占める『他人と深く関わらずに生きるためのシステム』(の提案)など、妄想じみた駄弁だい。
こーゆー人を教授に頂くY大学のレベルも知れようってもの。

とまあ、こき下ろし放題は愛の裏返しで、実はとっても気に入ったのであった。
個人的には賛成したい部分が多い。と吐露しておく。


なので、これも読んでみた。↓

自由に生きることは幸福か

池田清彦
エッセイ 2000年 文春ネスコ ★★★


リバタリアンってオバタリアンの同類か?

のっけから『3億円で自由になれるか』てなネタで、いささか違和感が生じる。
生活費を得るために会社や組織に魂を売っていると感じる人々にとって、お金は確かに自由の象徴である。

が、わたくしなんぞは日々有り余る自由を持て余しており、その代償が貧しいフトコロなんだから、お金がない=自由という式が成り立つのである。
自分では案外幸せなほうかなーと思ったりもする。お金が増えたら幸せが減るんじゃなかろうか。

とはいえ、このささやかな幸せ感は相対的なものに過ぎない。おそらく(かなり不幸せな)他人との比較から生じている。比較をしている限り真の幸せは得られないであろう。

・・・では、幸せとはなんなのだ? 結局は心の持ちよう。
2008年03月30日 14:16 by 蕪  ※(0)  虎(0)  随想・評論


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