ジョン・ディクスン・カー<奇蹟を解く男>

ダグラス・G・グリーン
評伝 1996年 国書刊行会
マニア向け良書 ★★★☆


500ページ超のぶ厚い本。文献と注釈だけでも相当なもの。
年表と登場人物リスト(!)があればもっと良かった。しおりひもも2本くらい欲しいところだ。

カーの生涯になんぞ興味はないと個人的には思っていたのだけど、意外や読み始めたらどんどん惹き込まれてしまう。
カーマニアだけでなく、ミステリファンなら読んでおこう。なぜ推理小説家にカーのファンが多いのかわかるはずだ。

英米作家と呼ばれたカーの、イギリスとアメリカに対する揺れ動く思いや、なんであんなに駄作が多いのかという謎に対する答え(?)も含め、作品、交流、家族、手紙などを通して鮮やかに浮かび上がるカーは実に人間的。なんとみっしり詰まった人生であったか。
わたくしが読んだものはおそらく全体の半分くらいに過ぎないだろうが、再読したい気分にさせてくれる。

著者は人文学の教授でミステリ収集家。アンソロジーなども編纂している。カーの一ファンでもあった。
内容はほぼ全作品に言及している丹念な労作。
ネタバレの前には警告マークがあるが、どこまで飛ばせばいいか、ぱっと見てわかりにくいのが難点。さほど重大なばらしはないように思う。

よくできたミステリなら、トリックがわかっていても面白く読めるものである。
真摯に書評を書こうとする人なら2度3度読み返すであろう。2度目は読書というより作業、つまり伏線や状況説明をチェックしながら納得したり首をかしげたり、細部へのこだわり(せこさ?)に感嘆したり・・・神の気分でかえって興味が深まることだってある。
わたくし自身は読み返すとしてもずいぶん年月が過ぎてからになることが多く、たいていストーリーも犯人も忘れてしまっているのだが、『ユダの窓』だけはいつまでも覚えている。うん、あのときはほんとスゴイと思った。
2008年04月27日 08:31 by 蕪  ※(0)  虎(0)  伝記・人物論・書評

物しか書けなかった物書き

ロバート・トゥーイ 法月綸太郎・編
短編集 2007年 河出書房新社
編するくらいならもっと物書いてくれ法月 ★★★


いわゆる「奇妙な味」ジャンル。
ファンタジーとも妄想ともつかない、ちょっとした思いつきを文章にしたようなものもあり、賛否が分かれそう。

たとえば「あっと驚くどんでん返し」みたいなものとは違っていて、変な方向から足をすくわれる、のだけど、ひっくり返らずに立っていられる、そんな軽さであった。
『階段はこわい』など、その典型かな。

『予定変更』ではなんとも言いがたい不条理に肩透かしを食わされた気分になる。ある意味つまんない展開だが、実はこのようなものを書きたかった気持ちがじわんと迫ってきたりする。
世界中の人が寄ってたかって、しかも万難を排して自分をおとしいれようとしていると思えてならないことが、人生にはけっこうあるじゃないか。うおう。


ついでにこの人↓

ナツメグの味

ジョン・コリア John Collier
短編集 2007年訳書 河出書房
シナモンを混ぜてみたらどうかね ★★☆


奇妙な味の第一人者、ジョン・コリアの最新作。と思いきや、1940年代に書かれたものであった。時代を感じさせないのが、「奇妙な味」の普遍性である。
平凡な素材でもとことん煮つめる(執着させる)と、味が出てくるのだ。ただし読後感はあまりよろしくない。
2008年04月25日 21:06 by 蕪  ※(0)  虎(0)  ミステリ・推理

決められない!

清家洋二
教養書 2005年 筑摩書房
迷える子羊へ捧ぐ ★★


こども医療センター精神科の医師が、多数の実例をもとに『優柔不断の病理』を解説。
仕事柄、主に子どもの事例が取り上げられているが、その裏には親の問題が見え隠れしている。親の過干渉が優柔不断な子どもを作るのである。

何かを「決める」行為は人にストレスを与えるそうだが、「決めず」に放置するもしくは悩む行為だって、選択の結果ではないのか。と考えていくときりがないが、生活に悪影響を及ぼすほど「決めない」でいることに「病理」が潜むということか。

氾濫する情報は、かえって人に迷いをもたらす。
「迷う」のはなぜか。より良いものを求めるからだ。つまり「欲」の所産である。

『意識的に情報を遮断する』と内面の充実が図れるとしても、優柔不断は性格や気質に負う面が大きいから、根本的な解決にはならないと思う。

結局「決められない」ことの何が問題なのか。
たいした問題じゃないね。ちょっと損するだけ。長い目で見れば同じこと。という考え方ができる人は幸せである。おそらく迷いで悩むことも少なかろう。

いわゆる自己啓発本には、「迷いを断ち切る方法」「上手な決定術」など、具体的なテクニック(簡単そうなのになかなか実践できない)が載っているが、この本はそういうたぐいではないので、ご注意。
2008年04月24日 08:10 by 蕪  ※(0)  虎(0)  随想・評論

解剖学個人授業

養老孟司・南伸坊
エッセイ 1998年(雑誌連載96〜97年) 新潮社
身近な解剖学 ★★★


『生徒の達人』南伸坊が、『解剖学教室へようこそ』の養老先生に就いてお勉強する。その提出レポート及び先生の寸評。

解剖学なんて一般の人々にはまず縁のないものである。そういう「学問」が成り立つこと自体不思議であった。
死体を切って調べる解剖という作業は、多くのミステリ読者にとってなじみ深いが、それはフィクションの中だけ。どっちかというと「法医学」の分野であろう。
昔、独り暮らしの知人が夜中に自分の部屋で急死して、数日後に発見されるという出来事があった。友人たちとそのことを話していて「やっぱり司法解剖に回されるんでしょうか」という問いに、ある人が「シボウ解剖は殺人事件のときだけじゃないの」みたいなこと言った。“死亡解剖”のつもりだった?

南生徒は目のつけどころが鋭く、軽妙洒脱な文章で何を書いても読ませるし、養老先生はやや偏った考え方があっても、これまた面白い書き手だから、相乗効果でそりゃもうスゴイ本が仕上がるかと思いきや、ちょっぴり拍子抜け。

確かに内容は面白い。
毎回テーマが定まって、興味をそらすことなくまとまっている。どこまでが先生の教えでどれが生徒の感想でどこが地の文か、渾然一体となったところもあるが、だからどうだと突っ込むことでもない。
解剖学に没興味の人でも、雑学を山と仕入れて知的満足を味わえる。本全体は南伸坊仕様であるから、ときとして笑える。
『寝言を聞いて喜ぶのは本人だけ』至言だ〜。でも、ほんとうに喜ぶだろうか? かえって蒼ざめるかもね。

では、何が問題か。
「気遣い」といっておこうか。
生徒が先生を敬うことは、世間一般での実態はともかく、道徳上のお約束である。先生だって、オマエは劣等生だ、バケツ持って立ってろと怒鳴ってばかりじゃ人気は落ち目。
なのでお互い尊重し合って、無難な経過。鼻につくというほどでもないのだが、気にし始めると目障りでもある。
この『個人授業』という形式、はたして成功したのであろうか。


運のつき

養老孟司
エッセイ 2004年 マガジンハウス
運がついてる人と運がつきた人の差は? ★★☆


人生は運だ・・・それはつくづくと感じる。いろんな事柄が複雑に絡まって、結局は「運」としか呼べないような経緯をもって今の自分があるのだから。

『バカの壁』がバカ売れした人だが、以前からいろんなものを書いていたのである。その自伝的人生論。巻末に履歴書もついてる。
話し言葉でつづられるが、談話を編集者が具体的な文にした「語り下ろし」という手法らしい。

人生は『もはや死に向かって不可逆的に進行するしかない状態』なのである。
長年死体と付き合って、「死体」が「現実」、「死体」を「自然」と言う人であるから、『自分が死ぬことなんて大した問題じゃない』と言い切る。ジタバタしたって怖くったって、誰でも死ぬんだからしかたない。理屈ではわかっても、感情では納得しないのがおおかたの人間てもんだろうな。

養老孟司の本は『人間科学』『無思想の思想』『死の壁』など、最近になってわりと読んでいるが、同じようなことが何度も出てくる。あたりまえは難しいとか、普通がすごいとか、個性は身体にある、など。真理とすべきことは繰り返し述べないとわかってもらえないのである(表面的に誤解を招きやすい事項ならばなおのこと)。
だから鬱陶しいというわけではなく、もっと読んでみたくなるから不思議。
2008年04月21日 15:47 by 蕪  ※(0)  虎(0)  随想・評論

九月が永遠に続けば

沼田まほかる
長編サスペンス 2005年 新潮社
人の心がホラーになる ★★


夫と離婚して高校生の一人息子と暮らしている「私」。
ある夜、息子はゴミ出しに行ったきり行方不明になる。次いで「私」の若い恋人が駅のホームで転落死。その男は、離婚した夫の現妻の娘の交際相手でもあった。関係者を訪ねて息子の捜索に奔走するが・・・。

「ホラー大賞」という文字がちらっと目に入ったので、ホラーだと思い込んで読み始めた。不気味な印象がないわけではないが、超自然な要素は出てこないし、なんか変だなーと首を傾げつつラストへ突入。
なあんだ、「第5回ホラーサスペンス大賞」、つまりはサスペンスの側だったのか。大賞だけあって、シンプルな話なのに、読ませる筆力は認める。

でも魅力は薄い。
ストーリーは大仰に進むが、つまるところ「そそる謎」のようなものは何もない。ゴミ出しで子どもひとり失踪だなんて、蒸発おじんじゃあるまいし、もっと劇的な状況を作るのもテクニックさ。

売りがあるとしたら、キャラクターか。
複雑でドロドロした人間関係や、微妙に気持ちの悪い近所のおっさんなど、設定を細かく練っている。
さしたる必然性なく後味の悪い話であり、2度とかかわりたくない気分にさせられるのは、それらキャラクターのせいではなかろうか。生きている迫力が足りないのである。
自分の作り出した人々に愛情を感じていないようである。それはストーリーにも影響を与えるであろう。
最終的にどうでもいいような人物にほっかぶせて収めてしまった安易さにもしらける。
2008年04月20日 15:16 by 蕪  ※(0)  虎(0)  ミステリ・推理

醜い日本の私

中島義道
エッセイ 2006年 新潮社
マイノリティの悲哀 ★★☆


「醜い」は「日本」を修飾してるんだよね、「私」ではなく。

まずあげつらわれるのは日本の風景。張り巡らされた電線、ごたごたしたストリート、吐き気を催す看板、絶え間なく耳を殴りつけるお節介放送・・・なんと汚らしく醜い国にわれわれは暮らしているのか。
しかも大多数の正常な日本人は、不快に感じるどころか、そこに居心地の良さを見出すのである。
さらには、その場しのぎのウソを天真爛漫に操る無神経な人々、買い手が売り手を奴隷化するシステム、など、いくぶんぐさっとくる内容。

醜い日本に敢然と立ち向かうドンキホーテがひとり。嗚呼。

別に電線が垂れ下がって感電するわけじゃあるまいし、ほっときゃいいやん。と、普通の人(マジョリティ)なら思うさ。電線地中化はお金がかかるんだし、そんなカネがあるなら、住民の健康に直結する老朽水道管の交換をやっとくれ〜。

他者の醜怪さへの攻撃は、突き詰めれば「ブスハセイケイシロ」てなことになってしまう。

中島義道は池田清彦とオトマダチだそうで、なるほど類は友を呼ぶだなあ。
大学教授とはお気楽なショーバイなのだ。

さて、このかたはとっても偏食の激しい人のようだし、喫煙者(なんと醜怪な)であり、コンビニ弁当やファストフードを愛食していると見受けたので、老婆心ながらアドバイスいたします。
現代の若者がすぐにキレるのは、食生活に問題があると言われている。中島教授、あなたが些細なことでカッカするのもたぶん同じ理由であろう。
インスタント食品や出来合いのお惣菜をやめ、野菜とりわけ緑黄色野菜をたんと食べなさい。タバコと清涼飲料水をやめ、ハトムギ茶を飲みなさい。
数ヶ月も続ければ、気分も落ち着き、立派な好々爺になれましょうぞ。

ところでほかの著作では『人生を<半分>降りる』を読んで不愉快になったことがある。
じゃあ性懲りもなく読むな、ほっときゃいいだろ。へい、すんません。

閑話休題。
打ち明けると、この本に書かれている事項の67パーセントくらいは賛同したい。
江國香織の美意識をこき下ろすあたりは痛快でさえある。
言葉の本質を知らず、考えたこともなく、正しく使え(使わ)ない日本人たちはこっけいで、そんな人々が善意で支配する「世間」は暴力的といえる。

何を隠そう、とある面においてわたくしも哀れなマイノリティである。
フツーの人々が喜ぶことを苦痛と受け止める感受性の持ち主がいかに生きづらいものか、日々、身をもって体験している。
しかもその自らを害する感覚を「治し」たくなんかない。
いわば同類項。マイノリティとしての共感は持てる。

それはそれとして、この著者への反感は別のところから出てくる。

つまりこの人は、あれはいやだ、これは嫌いと好き勝手なことを書いて公にする場と機会を得ている。表現力もある。おまけにそこからおカネも転がり込む。それでいて被害者面している。マイノリティを逆手に取った傲慢さが気に食わぬ。
この人はまったき強者なのだ。

同じマイノリティでもわたくしは弱者である。
嫌いなものを嫌いと言い放つと、翌日からおまんまが食えなくなるおそれがある。鬱々とうちに秘めておくしかない。

やっかみだと嗤うなら嗤え。
2008年04月19日 21:20 by 蕪  ※(0)  虎(0)  随想・評論

早わかり世界の文学

清水義範
教養書 2008年 筑摩書房
芸術は模倣に始まる ★★★


『パスティーシュ読書術』という副題が示すように、パスティーシュ作家として独自の地位を気づいた著者が、豊富な読書体験をもとに、古今東西の文学を斬る。
構成は若者向け講演の再録プラス書き下ろしエッセイ。『私が決める世界の十大小説』、パスティーシュとパロディの違いなど、気楽に読めて(きっと)ためになるコンテンツ満載。

歴史的に有名な書物も、調べたらパロディから始まっていたりする。真似っこだから価値が低いというものではないのだ、と。
補講『ユーモア文学論』では、ユーモアのもとはタブー(下ネタ)と物真似だと述べている。真似は人間が好む根源的なもののひとつでもあるのだ。

文章の上達法は訓練あるのみ・・・わかりきったことだけど、至言。
ブログの猩獗で、猫も杓子も文章を書くようになった(とことんマヌケなIMEを使ってさ)。
文なんて誰でも書ける。でも上手な文章となると・・・あれ、どんなのがそうなのかわからなくなってきたぞ。これも日々素人文を見、書いているせいか。

高校生のころのわたくしは、世界文学紹介(詳解)みたいな解説本を図書室で漁り、作者や年代背景、あらすじなどを読んでわかったような気になっていた。それで興味を持って実際に読んだものもあるにはあるが、ごく少数。
いまだにこんな本に目が留まるのは、宿業かな。

日本文学についてはほとんど手に取った記憶がない。

たくさん読書しているといっても、目先の娯楽になるものばかりで、名作とは縁がなかったなあ。今後老眼が進むだろうに、対峙する気力などわくものか。
昨今は『カラマーゾフの兄弟』や『失われた時を求めて』などの超大作が中高年の間でブームと聞くが、流行りものに飛びつくのも恥ずかしいものだし・・・。
2008年04月17日 18:23 by 蕪  ※(0)  虎(0)  随想・評論

黒い森

折原一
ミステリ 2007年 祥伝社
安定感に一票 ★★☆ミ


惨劇の山荘を目指して樹海の中に入り込んだミステリーツアーの一行は、いずれもいわくありげな暗さを背負っている。その中でひとり胸をときめかせている美女樹里は、恋人に会うために参加したのであった。途中には首吊り死体などがあり、メンバーは散り散りになって、山荘では大量殺人・・・。はいはい。

つくづく樹海の好きな人だなあ。おかげで始めのうちは既読かと錯覚してしまいそうになる。
で、ふと思った。樹海は自殺志願者が引き寄せられる場所らしいが、そこで死ぬのは何死? 凍死はともかく餓死はつらいよね。
わざわざ出かけなくても、家の近くのビルから飛び降りれば楽なのに〜と第三者。

それにしてもノーテンキな小説。
とことん安易で非現実な設定、いいかげんなストーリー展開、単純で薄っぺらいキャラクター。

ツアーの目的は最初から露呈している(別に隠そうとしていない)。
裏表二部+袋とじという凝った構成も、例によってさしたる必然性は感じられない。一本建てで進めても、じゅうぶん読ませる話にはなったろう。ダブった描写でサスペンスを盛り上げるつもりだった? (ついでに稿料水増し)

結果的に、それらもろもろあわせてわたくしの好みなのである。もし登場人物が陰影に富む複雑な性格だったりしたら、それこそ違和感があふれて読みにくいに違いない。
ラスト、もうひとひねりの余地もあったと思うが、このあっけらかんさがよろしい(としておく)。

ロバート・B・パーカー(ハードボイルド)を最初に読んだとき、解説に『偉大なマンネリズム』と評されていた。ほめ言葉らしい。たまたまそれが性に合わず、パーカーはほかに読む必要がないとわかったのであった。

折原一はとりあえず新作があれば必ず読むことにしているひとりで、それも偉大なマンネリズムゆえ。
2008年04月02日 23:09 by 蕪  ※(0)  虎(0)  ミステリ・推理


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